MAYA’S HISTORY
涌井真耶の歩み
涌井真耶ができるまで
今でこそ、テニスを通じて多くの方と出会い、プレーヤーとして、そして指導者として活動していますが、最初から「テニスが大好きな子ども」だったわけではありません。
むしろ、練習を休みたくて仮病を使ったり、コーチに反抗したり、「なんとなく」ラケットを握っていた時期の方が長かったように思います。
そんな私が、なぜここまでテニスを続けてきたのか。
なぜ「テニスを通して、人生を豊かにしたい」と考えるようになったのか。
その答えは、これまで出会ってきたたくさんの人たちとのご縁の中にあります。
決して順風満帆ではなかった、一人のテニスプレーヤーの物語。
「涌井真耶」ができあがるまでの歩みを、少しだけお話ししたいと思います。

01|テニスが好きじゃなかった、あの頃
私が初めてラケットを握ったのは、小学校一年生の頃でした。
両親の影響でテニススクールに通い始めましたが、正直なところ、当時の私はテニスが大好きだったわけではありません。
レッスンの日になると、なんとなく気が重い。
スクールへ向かう車の中のことは、今でもよく覚えています。
できることなら休みたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
時には仮病を使ってレッスンを休み、電話を切った瞬間に友達と外へ遊びに飛び出していったこともあります。
今思えば、本当に手のかかる子どもだったと思います。
その一方で、「大きくなったらプロテニス選手になって、コーチに大きなお風呂を買ってあげる!」
そんなことを無邪気に話していたそうです。
子どもながらに、きっと周りの大人たちのことは好きだったのでしょう。
中学生になっても、テニスへの向き合い方はあまり変わりませんでした。
練習はする。
でも、自分から「もっと強くなりたい」と思ったことは、ほとんどありませんでした。
運動は好きだったこともあり、コーチからは「センスがある」と言っていただくこともありました。
それでも、思うようには勝てませんでした。
「なんで勝てないんだろうね。」
そう聞かれても、
「じゃあ勝ち方を教えてよ。」
そんな生意気なことを思っていたくらいです。
今振り返ると、勝てなかった理由はとてもシンプルでした。
私は、テニスと自分自身に本気で向き合えていなかったのです。
高校では、全国レベルの選手たちが集まる環境に身を置き、多くの刺激を受けながらテニスに打ち込むができ、技術は少しずつ成長していきました。
しかし、「強くなりたい」という気持ちも、どこか周りに引っ張られているだけだったように思います。
自分の意志で、本気になれてはいなかったように思います。
高校時代は、本当に苦しい三年間でした。
それでも、不思議と学校へ行くのは嫌ではありませんでした。
そこには、テニスとは関係なく笑い合える仲間がいたからです。
苦しい毎日の中でも、何気ない時間を一緒に過ごしてくれる友人たちの存在に、私は何度も救われていました。
今思えば、この頃の私はまだ気づいていませんでした。
自分を支えてくれていたのは、テニスそのものではなく—
人とのつながりだったということに。






02|「お前、テニス好きか?」
― 人生を変えた恩師との出会い―
—恩師との出会い
大学進学も、当時の私にとっては、
「ここまでテニスをやってきたから、なんとなく続けよう。」
そんな気持ちでした。
本気でプロを目指していたわけでもなく、強くなりたいという強い覚悟があったわけでもありません。
第一志望として考えていた大学への進学も叶わず、進路に悩んでいた時、偶然一本の連絡が入りました。
連絡をくれたのは、一つ年上の先輩。
そのご縁から、東洋英和女学院大学テニス部を知り、練習に参加させていただくことになりました。
そこで初めて出会ったのが、監督であり、私の人生を変えてくれた恩師・澁谷隆良先生です。
初対面にもかかわらず、先生と話をしているうちに、なぜか涙が止まらなくなりました。
今思えば、それまで誰にも言えなかった気持ちや、ずっと抱えていた不安を、先生は全部受け止めてくれたのだと思います。
もし澁谷先生に出会っていなかったら、私は大学一年でテニスを辞めていた。
今でも、本気でそう思っています。
大学に入り、一人暮らしも始まりました。
自由な生活。
新しい友人。
新しい環境。
でも、肝心のテニスは思うようにいきませんでした。
むしろ、テニス以外にも興味を持つものが増え、「自分は、本当にテニスを続けたいのかな。」
そんなことを考えるようになっていました。

人生の転機 —恩師の言葉—
そして大学一年の冬。
澁谷先生に呼ばれ、こう聞かれました。
「お前、テニス好きか?」
私は少し考えて、
「……あんまり好きじゃないです。」
と、正直に答えました。
今思えば、監督に向かってとんでもない返事です。
怒られる。
呆れられる。
そんなことを覚悟していました。
でも、先生は違いました。
「もし、お前に本気でやりたいことがあるなら、俺はそれを全力で応援する。」
「でも、自分で選んでこの大学に来たんだろ。だったら、一回本気で向き合ってみろ。」
その言葉を聞いた時、私の中で何かが変わりました。
この人は、テニス選手としての私を見ているんじゃない。一人の人間として、私の人生を応援してくれている。
そう感じたんです。
そして、初めて思いました。
「この人のために頑張ってみたい。」
それまでの私は、勝ちたい。
負けたくない。怒られたくない。
そんな、自分のことばかり考えていました。
でも、先生の期待に応えたい。
仲間と一緒に頑張りたい。
応援してくれる人に喜んでもらいたい。
そう思えるようになってから、不思議なくらいテニスが楽しくなりました。
同じ練習をしているのに、見える景色がまったく違う。
うまくいかない日も、工夫することが楽しい。
苦しい練習も、「もう少し頑張ってみよう」と思える。
心の持ち方ひとつで、こんなにも世界は変わるんだ。
そのことを、澁谷先生は教えてくれました。
私にとって、テニス人生の一番の転機は—
あの日、「お前、テニス好きか?」と聞かれ、
「本気で向き合ってみろ。」
そう背中を押してもらえた、あの時間です。

03|今度は、私が誰かの背中を押す番
—「人のために頑張る」こと
大学での出会いをきっかけに、私は初めて「人のために頑張る」ということを知りました。
恩師のために。
チームのために。
応援してくれる人のために。
不思議なことに、自分のためだけに頑張っていた頃よりも、ずっと前向きに、そして強くテニスと向き合えるようになりました。
同じ練習をしていても楽しい。
苦しい試合でも諦めない。
うまくいかない日があっても、「次はもっと良くしたい」と思える。
心の持ち方が変わるだけで、人はこんなにも変われるのだと、自分自身が教えてもらいました。
その積み重ねが、競技者としての私を育ててくれました。
ジュニア時代、個人戦で全国大会に出場した経験はほとんどありません。
大学でも、最初から結果を残していたわけではありません。
そんな私が、多くの方々に支えられながら、プロ選手として活動することができました。
でも、振り返ってみると、私が誇りに思うのはプロとして活動したことだけではありません。
苦しい時に声をかけてくれた仲間。
いつも変わらず応援してくれた家族やファンの皆さま。
支え続けてくださったスポンサーの皆さま。
一緒に戦ってくれた選手仲間。
母校の仲間たち。
そして、人生を変えてくれた恩師。
テニスを続けてきた時間の中で、本当にたくさんの出会いに恵まれました。
私は、テニスに育てられたというより—
テニスを通じて出会った人たちに育ててもらった。
そんなふうに思っています。
だからこそ、競技者として一区切りを迎えた今、次は私がその恩を返していきたい。
テニスを知らない人に、その楽しさを伝えること。
無理に技術を教えるのではなく、「挑戦すること」や「人とつながること」の楽しさを伝えること。
そして、かつての私のように、自分に自信を持てずにいる誰かの背中を、そっと押してあげられる存在になること。
テニスが人生のすべてだとは思っていません。
でも、テニスを通じて出会った人たちが、私の人生を豊かにしてくれました。
テニスを通して、誰かの人生を少しだけ豊かにできたら。
誰かが一歩踏み出すきっかけになれたら。
「今度は、私が誰かの背中を押す番」
そんな想いを胸に、私はこれからもテニスと向き合い続けていきます。








